日々の雑感

祖父が亡くなりました

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実は9月に祖父が亡くなりまして。
呼吸不全で。
94歳でした。

そのときの事を書いておこうと思います。


日曜日、亡くなった時に、うちに電話がかかってきた。
入院していたのが家から近い病院だったので、すぐ向かったところ、ちょうど病室から運び出されてエレベータに乗せられるところ。
棺は祖父の家に運び入れられるというので、そちらに向かった。

祖父の家はいわゆる昔の家で、クーラーなどは無い。
家中網戸を貼り付けて風通しをよくしてるが、蚊も入ってくる。まずはその蚊対策に網戸につぎあてをしたり線香をたいたり。
そして祖父がよく仕事をしていた部屋に布団が敷かれた。

お参りの仕方を教えてもらった。ココの宗派では、葉っぱの線香を2回、お辞儀をしないで香炉にくべ、お辞儀をする。
棒の線香は2本に折ってろうそくで火をつけて香炉に入れるが、これはやってもやらなくてもいいらしい。
どうぞ天国で幸せになれますように。
子供らにも、これはおじいちゃんが天国にいけるようにするお参りだからと、しっかり作法を教えた。

祖母は「じいちゃん、のんのちゃんになった」と曾孫相手に話しかけてた。
おば達はもっと早く来て、掃除やら台所周りやらをしていた。
おじは夕方、葬儀屋から人が来て、打合せていた。
香典返しは葬儀屋のカタログから選べばラクだったのだが、あまりいいのが無かったみたい。
叔母が「白子のり」はいやだ、まずいからって、こだわってた(皆、苦笑)。
結局、商品券を渡すことになった。

大往生ということもあってか、祖母にも叔父・叔母たちにも、湿っぽい雰囲気はむしろ無く、むしろ明るく騒がしく、通夜の準備は進む。

子供らは、家から持参したぬりえを黙々とこなしていた。おとなしくしていてくれてよかった。

事件といえば、ミズノという怪しい男。
挨拶にやってきて、ずっと帰らない。
遠い親戚だと本人はいうが、祖母も誰も、その顔を知らない。
香典泥棒か新興宗教で高い壷を買わせるとかそんなやつでないかということで、みな警戒。
2時間ほどして帰って、みなホッと。

翌日は友引なので、翌々日に通夜、3日後に葬式となった。
時期柄暑いので、早めに納棺したほうがよい(ドライアイスをつめられるから)だろうということになって、翌日納棺となった。
翌日は、仕事の人は仕事、お寺さんが来ての納棺に立ち会える人は立ち会うということになって、その日は私を含めほとんどの人が帰った。

翌日、私は仕事。会社に明日・明後日、忌引きをもらった。
「肉親が亡くなってさびしかろう」と人に言われ、どう返事をしたらいいか迷った。
天皇の崩御のような、喪失感はある。
しかし、さびしくはない。正直。
あまりじいちゃんの事を知らないから。


通夜。
受付係をするため、早めに式場へ。
150人くらいはいただろうか、故人のために集まったのは。
近所の人が多かったみたい。
葬式は滞りなく終わった。
この後、親戚一同で式場内にとってある別室にて食事。
大往生なので精進明けをしてしまおうということで、お寿司等豪華料理と酒がでた。

その席で、一人ひとり故人の思い出を発表せよと叔父。
私は、小学生の頃、竹馬を作るイベントに一緒に行った話を披露した。
妻は、宮島に祖父が旅行で来たとき、えさを持った祖父が鹿に取り囲まれて背広をかじられた話を。
他の人は、どんな仕事をしていたとか、おおじいさんに頭が上がらなかったとか、貧乏したとか、しかし戦時中他の家はかゆを食べてても祖父宅は白米のご飯だったとか、賭け事で負けたとか、なんかいいものをもらったとか、そんな話。
どれも新鮮な話・聞いたことの無いエピソードばかりで、私も周りも、驚いていた。

その晩、父母と姉夫婦と自分の家族で、祖父が眠っている棺の部屋で泊まった。
祖父の宗派では、ろうそくが消えないように一晩中見守らないといけないということで。
前回はおとなしかった子供達、今日は優しくしてくれる人たちがまわりに多いものだから、はしゃぎまくる。
大きな声で歌ったり、踊ったり、体操みたい事をしたり、絶好調に活動しまくる。
音楽葬のよう・・・じいちゃんも嬉しかろう。きっとそう。

私、その晩、ろうそくが消えないように半徹夜する予定だった。
熟睡してはいけない、いけないのだが、あまりに布団が気持ちよくて、且つお香のアロマテラピー効果で、普段以上にぐっすり寝てしまった!
それでも3時ごろに気がついて、がばっとおきると! ア、消えてない・・・ろうそくは、姉がともし続けてくれた。
すまん・・・。
(朝、「あんた何しに来たがけ」と母にいやみを言われた)


そして葬式。
終了後、棺おけを車に載せ、火葬場へ。
儀式みたい事をしたのち、炉に棺おけを入れるのに立ち会った。
終わるのに数時間かかるというので、会食上で昼食。
食事は昨晩以上に豪華で、結婚式のようだった。
忌引き明けに会社に行くと「肌ツヤが良くなった」なんて言われそうだ。こんな連日ご馳走だと。じいちゃん、ありがとう。

そして骨上げ。
頑丈な骨だ。
カルシウムをきちんと取っていたんだろうと、みな言っていた。
葬式も無事終わった。

その晩も、香典の整理とか、食事のしたくとか、訪問客の相手などがあったので、祖母の家にみなが集まった。
私と家族も手伝ったが、ある程度のところで帰らせてもらった。
明日から仕事だし、子供らも疲れているだろうとのことで。

じいちゃんが寝ていた部屋には、脱いで畳んであるズボンとか、よく民謡を聞いていたラジオとか、身につけていた時計とか。
あるじをなくして寂しそうなモノたちがそこそこに。
こういうのをみると逆説的に、彼の存在の大きさ、強く感じる。
それは、私の性格がひねくれているからだろうか。


祖父は無口だったので、私は昔からあまり会話を交わしたことは無い。
彼が障子貼りの内職をしていたのを私が手伝ってしかしミスをして怒られたとか、先の竹馬の話とか、広島旅行で「そごう」で迷子になったとか、あとは最近は昔より機嫌が良いみたく、いつもニコニコしていたとか・・・それ以外は全く思い出が無い。

母や叔父にしても、あまり会話は無かったらしく、どんな仕事をしていたのかもよく知らないらしい。
先の席では親戚が、海岸近くの日通でなんかしていたとか、石炭を運んだとか、襖や障子の内職をしたとか、言ってたけど。

秘密にしていたわけではないと思うのだな。
別に敢て話をしてどうだということが無かったから話さなかったのだろう、きっと。

だって私にだって、人に自慢できる話などもってないもん。
平凡な人生で、ドラマも何も。
今死んだら、私という人間はどうだったかなんて、勝手に想像して欲しいもん。
その想像の方が、たぶん現実よりも美しいと思うしさ。

まあでも、本人にとっては、満足な人生だったのではないかと思う。
長生きし、子に恵まれ、孫・曾孫も大きくなるところまで見届けて。

わたしも多分、94歳くらいまで生きるのだろうな。
するとまだ半分も生きていない。
まだまだ長いな。もういいような気もするけど。
何歳までにコレをしよう、何歳からアレをしようと、計画しといた方がいいな。

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