■金曜日
会社で昼飯を食べてしばらくすると、腹が痛くなった。
食べすぎかと思ったが、どうも痛みが長い。2時間ほどトイレとデスクを行ったり着たり。
ふと見ると、便器の中に血の塊が見える。紙を見ると真っ赤な血が付いている。
これはやばい。
痛みはそれほど強くなく、波があって痛くないときもある。
我慢できたから我慢していたのだが、血を見ると、これは尋常ではないと気づいた。
その場にいた人に、早退する旨を伝えて、妻に車で迎えにきてもらって、病院に行った。
病院では、若い女の先生が見てくれたのだが、触診だけ。
痛みもそのときは少なかったので、明日来てくれと言われ、帰宅した。
家では、布団をひいてもらって、寝た。
その日の夜は、何も食べなかった。
朝までひどい痛みはなかったが、波のように痛みが来ては去っていくという感じ。
熱もややあって、37度ちょっと。便には相変わらず血が付いている。
朝、検査のときに汚かったら恥ずかしいと思って、シャワーに入った。途中オナラガしたくなってすると、床のタイルが血で真っ赤になった。便に血が付いているというよりも、ゼリー状の血に便がついているという感じ。このときとても心配になった。
■土曜日
朝、病院に行った。
受付を終えて処置室に行って、下剤ムーベンの説明を受けて洗腸。途中寒くなったが、それは下剤の副作用らしい。
3時ごろから内視鏡検査。昨日とは違ってベテランの男の先生。
しばらくすると、潰瘍部分をモニターで見させられた。10センチくらいだろうか、口内炎の100倍位のがそこに。
ご家族に連絡したいと言われ、ちょっと心配になった。死ぬ、とか?
妻が呼ばれ、病気の説明を聞いた。病名は、潰瘍性大腸炎とのこと。難病で若い人がなりやすい。保険は利くが一生薬を飲み続けなければならない。即日入院。気が重くなった。
しかし病気になったものは仕方がない。担架に乗せられ、おとなしく病室へ。
病室は個室。点滴24時間。3日間は食事なし。天井と窓の外を見るだけの生活が始まった。
■入院2日目~7日目
1週間の入院が決まっていた。することはなかったので暇といえばそうだったのだが、何でこうなったんだろうとか、退院したらどうなるのだろう、とか、いろいろ考えた。
会社にも連絡した。迷惑をかけて申し訳ないが1週間入院と。社長の反応は驚いた様子だったが想定の範囲内。お客さんにもケータイからメールした。
痛みは、ほとんどなかったので、それは救いだった。
ベッドの上で、目覚めては寝てを繰り返した。どれだけでも睡眠できたのは、きっと疲れていたのだろう。
3日目からおかゆになった。5日目からは普通のご飯になってプリンだったか甘いデザートも出た。
痛くなかったし、おかゆを食べ初めて後の便は、血が混じっていなかったので、先生は「あなたは予想外に直りが早い。ひょっとして潰瘍性大腸炎ではないかもしれない」と言い始めた。でも万が一のこともあるし様子を見ようと。薬は朝昼晩+寝る前にスラマという小便が派手に黄色くなる大粒のやつを飲んだ。
見舞いには、父母と、親戚のおばちゃんと従兄弟の同じ病気の子が来てくれ、いろいろ励ましてもらったりアドバイスをしてもらったりした。妻は毎日数回来てくれた。
こんなときこそ、大事な人は誰かというのが、わかる。
メールはケータイでチェックしていたが、ある日会社の同僚から、「急ぎのお客さんに私にしかわからない内容の仕事の連絡が来たがどうしようか」って。そのお客さんに電話連絡して、来週月曜に退院予定だからと、待ってもらった。
仕事が属人的な会社であるため、こんなときは本当に頼りにならない。組織が皆無な会社とはこんなものだ。危機管理ができない馬鹿な社長、少しは自覚しただろうか(多分ない)。
■週末の土曜に退院
土曜、ともかく、退院した。医者に無理はしないで、カレーとかウィスキーはだめ、とアドバイスされつつ、退院。
シャバの空気がうまい。自由と健康のすばらしさを実感。この感じを忘れないようにしよう!・・・と思っていても、忘れてしまうのだが。
■翌週の診療・検査
朝から下剤を飲んで内視鏡検査を1日がかり。
またもや寒くなる。このドリンク苦手や。
検査結果は良好で、潰瘍は跡形もなかった。
以前の検査でとった病理細胞の精密検査の結果も出ていて、潰瘍性大腸炎ではなかった。いわゆる普通の大腸炎だったとのこと。
めでたしめでたし。
でも薬は朝のみ継続。
■翌々週の診療・検査
触診のみ10分で終了。
完治して、薬ももう飲まなくて良いとのこと。
ーーー
というわけで、いまもこうやって、普通の生活を送っております。